赤松 弘治(あかまつ ひろじ)氏
株式会社里と水辺研究所 代表取締役
1984年 愛媛大学農学部園芸農学科卒業
技術士建設部門(都市及び地方計画)/建設部門(建設環境)
京都造形芸術大学非常勤講師
宝塚市在住
ー調査、講習に飛び回ってお忙しい中ご無理をお願いし、新大阪駅に近いオフィスでお時間をいただきました。
ーよろしくお願い申し上げます。早速ですが、1996年平成8年に会社を設立されましたが、そこまでの経緯をお聞かせいただけますか?お生まれは、愛媛ですか?
よろしくお願い申し上げます。そこからですか、長いですね(笑)。
大阪の門真市に生まれました、下町ですね。大阪府立の高校を出て、さて大学は、の時に、たまたま3つ上の兄が愛媛大学工学部でしたので、そこに行こうかと。
農学部園芸農学科に入りましたが、学科には特に強い志望動機とかはありませんでした。当時、環境保全学科もあったのですが、言葉の意味もわからなかったです。
学校での研究課題は、簡単に言うとみかん畑の肥料についてでしたが、学問と言うより部活のワンダフォーゲルでしたね。沢から落ちたりしていました(笑)。沢を滑り落ちたんですが、石と石の間の空間にちょうど助けられたり。
就職は何か食品関係がいいなと思い、いろいろと受けたのですが最終的には、摂津市にある大阪府中央卸売市場に入りました。当時は新しくできたところで広い市場でしたが、特に大学の研究が活かされるいるというところでもありませんでした。その会社で、仕入れた野菜を運んだりしてたんですが、朝が早い、2時には起きて仕事に行ってましたので、終わるのも早い、15時には終わります。
若いですし、時間を持て余して英会話を勉強しようと学校に通いました。周りは中学生や高校生でしたので、成績優秀でした(笑)。
その学校の先生からワーキングホリデー所謂ワーホリですね、その制度が今度オーストラリアでも始まるという話を聞いて、じゃあということで、勤めて2年くらいでしたが会社を辞めて、オーストラリアへ行きました。現地の住み込みで働いたり、オーストラリアをバックパッカーで一周したりしていました。
そうこうしている時に、大学の先輩がオーストラリアに遊びに来るという話になって、一緒にまた今度は飛行機で一周しました。その先輩から日本に帰るならうちの会社に来ないかとお誘いがあり、3人くらいの小さな自然系の建設コンサルタント会社に入社しました。まだ20代だったですね。世はバブル絶頂期でしたが、あまり恩恵は受けなかったですね(笑)。
まだもう少しあります(笑)。
そしてその会社に深く関わっておられたのが、このインタビューシリーズにも出ておられます兵庫県立大学の服部先生です。
ー繋がってきましたねー
先生には仕事を色々教えていただきました。仕事の上でも植生学をしっかり勉強しなさいと助言をいただき、一旦退社して先生のご紹介で神戸大学の植生学研究室に約半年の間研究生として通い、先生や学生の研究や前の会社の仕事を手伝いながら勉強を続けていました。
服部先生が当時兵庫県三田市に新しく新設される「人と自然の博物館」開館準備室に移られましたので、私は元の会社に戻り、開館のお仕事を一緒にさせていただきました。その後、この会社に3年ほど勤めたのですが、服部先生からコンサルタントは研究職と同じで、学会に出たり、論文を書くなど自由度が必要だから、独立したらとアドバイスをいただきました。
それで、1992年平成4年に人と自然の博物館開館と期を同じくして、同僚1名と「里と水辺研究所」を開業し、1996年に株式会社として設立しました。
ー里と水辺の名称がお洒落だなあと思ってたんですが
多くコンサルタントは、「環境」、「緑地」、「計画」、「設計」などの堅い言葉を組み合わせた社名が多く、人と自然の博物館のように柔らかい名前がいいね、ということになりました。注目され始めた里山や、河川の仕事もしていたので、「里と水辺研究所」となりました。
ー御社のパンフレットには、企業方針に3つの柱を掲げておられますが、これが独創的で面白いなと拝見しました。少しそもそもなんですが、「植生」とは、ある場所に生育している植物の集団と言う理解でいいんでしょうか?そうですね、それでいいと思います。
植物の群落いわゆる植生を見ればその土地の土壌と気候が分かる。さらに人の関わり方が分かる。つまり、植生を見ればその場所の履歴や将来がわかるのです。現地で植栽調査を行い、その土地の履歴を紐解く仕事が私たちのベースとなる仕事だと考えています。
また服部先生に教え込まれたのは、植生は生態系や景観の基盤であり、それらをきちんと理解しておかないと、より良い保全や整備計画は生まれないということです。
この植生情報をうまく構想なり設計なりに伝える反映するようにするのが、2項目目のインタプリター業務のところです。
ここが当社の特徴だと思います。
建設系の会社には調査部門も社内にありますが、えてして、調査と設計がうまくリンクしていません。ここをうまくつなぐノウハウが調査とそれ以降の工程も意識している私たちの強みです。
計画段階では自然に戻すだとか開発を進めるとか多くの選択肢が生まれます。どの選択肢がいいのか悪いのかではなく、選択するのに考慮すべき植生から見た視点での情報を提示すること、そこには、こうしたらこんな効果がある保全できるとかの情報、意見も含まれています。
ー共感する共有することが出来ない要因として、そもそもですが「自然」って何かみんな違う解釈をしているような気がするんですが。
人によく説明する時に使うんですが、自然は英語の”nature”の意味は、”The whole universe and every created, not man-made, thing”。人が作っていないもの。
明治時代に”nature”を日本語に訳す時に「自然」を当てた。そのため、本来日本人が持っていたあるべき物があること、なるべくしてなることが自然という、文化的慣習的な意味以外に、外来的な生物科学的な意味が加わってしまったのだと思います。
山奥の人の手が届かないところが自然”nature”として理解している人が多いですが、人が介在するところも含めて全てを受け入れるところが日本的な「自然」だと思います。私たちが考える自然保全、保護とは、手付かずの自然ではなく、文化的側面を含めた数千年以上続いていた人と共生する自然を再生することじゃないかと思います。例えば桃太郎のおじいさんやおばあさんの世界ですね。
私たちが会社を立ち上げた頃以前は、尾瀬の湿地や白神山地の原生林を守る、そのためには、手を付けるべきでないというのが、自然保全でしたが、立ち上げた90年代初頭には、身近な自然が注目され始めました。身近な自然の代表的な里山が急激に衰退し、それが意識され始めた頃です。
ーお話を聞いていて、今まで「生活圏/都会」と「自然」の2極で考えていましたが、もう一つ間に「身近な自然」というカテゴリーを作って、自分なりに絶えず考えていくことは大切だと感じました。
例えば男の子なら里山でカブトムシが取れたのに今は取れない。それをどう考えるかですね、カブトムシがいる自然を取り戻したいと考え行動すれば、イコール生物の多様性自然の多様性を取り戻すことになるわけです。
自然保全の大きな動機としては、里山に代表される自然や生物の多様性が失われると、生態系サービスが劣化する点が最近よく言われています。ここが最大のポイントだと思います。 環境省平成25年版_環境・循環型社会・生物多様性白書_「第4節 自然のしくみを基礎とする真に豊かな社会を目指して」
企業では原料の生成確保という視点から一歩踏み込んで、それを生み出すベースとなる生態系サービスの充実に自ら関与する動きが出ています。私たちも参加しているプロジェクトですが、サントリーさんが、ビールや飲料製品を作ったりするのに地下水を使っていますが、その地下水をこれからもずっと利用できるようにするために、工場の上流域で1万ヘクタールくらいの森を保全しています。いいモデルケースだと思います。
生態系サービスの中で一番身近で私たちが関与できる貢献できるものが、里山保全による文化的なサービスや近郊農業、食の循環による供給サービスの側面が当てはまると思います。
環境系の活動を活性化するためには、“Think Globally, Act Locally“の発想をみんなが持つことが大切だと思いますね。
ー生態系サービスの考え方などThink的にはかなり進んでいることは理解できましたが、Actとしての里山再生の障害は何でしょうか?
システムでしょうね。お金が回る、つまり経済性がついてくるシステムができていないことだと思います。今、模索の中で、学習の森や風土の森や体験林と位置付けて経験を生産するという置換を行なっていますが、結果的にお金が生まれていません。
木を切る、柴を刈る、やることは昔と一緒だけど、お金が生まれないので、経済性をある意味度外視したボランティアしか担い手がいなくなっています。里山でお金が回るなら、もうやってるでしょうね(笑)。
ちょっと話は逸れるかもしれませんが、環境省は監督官庁で国土交通省のような事業官庁ではありません。旗を振る役割で、事業化する役割を担っていないことが、日本の環境施策の限界、経済とリンクしない現況を生んでいるのかもしれませんね。
ーなるほど、面白いですね。
ー北摂里山地域循環共生圏の一つの事業として木質バイオマス事業があり、今回その中の森林資源調査業務をされるわけですが、何か思いとかお持ちでしょうか?
思いというところまではっきりは浮かんでいませんが、技術の進歩をうまく生かしたいなと思っています。
兵庫県が持っている県全域をカバーする地形や樹高などのデジタル情報と私たちの持っている植生学の知見とをうまくリンクして、地域の精度の高い現況を洗い出すとともに、どう活用すればいいかまで踏み込んだ提案に結びつけることができると思っています。
ー次の10年は、何かこうしたい的なものはお持ちですか?
今までもそうですが、技術進歩が面白いなと思っています。
昔ジアゾで、ワープロが出て、スキャンとコンピューターになってきました。また今はドローンで簡単に空撮ができ、それをもとに分析できるGISが身近になるなど、技術はどんどん進んできて、それらに追いついていくことで何か自分が変わって行くできることが変わってくるのが面白いなと思っています。
そのためには、”CATCH UP”!乗り遅れないように頑張ります!
ーありがとうございました!
完全理系の赤松様と完全文系の私との会話は、ギターからSDGsまで振幅の大きなもので楽しかったです。
その中で、理系の持つ論理や技術と文系の持つ感性と言語が、個人の中でも組織の中でもうまくハイブリットして
アウトプットを作り出して行くことが、より高次を目指すこれからの社会活動には必須だなと感じました。
私も世の中の技術的な進歩に乗り遅れないように、アンテナを高くして”CATCH UP”!していきます(T.Mi)