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インタビューず

兵庫県立大学 名誉教授 服部 保氏

服部保(はっとり たもつ)氏
1948年大阪市生まれ。神奈川県横須賀市、兵庫県伊丹市育ち。神戸大学大学院自然科学研究科(博士課程)修了。姫路工業大学自然・環境科学研究所教授を経て、2004年に兵庫県立大学自然・環境科学研究所教授に就任。2013年兵庫県立大学 名誉教授、2017年兵庫県立南但馬自然学校校長 現在に至る。能勢電鉄名誉顧問、川西市教育委員。
村尾育英会学術奨励賞(1989年)植生学会学会賞(2008年)兵庫科学賞(2012年)兵庫県環境功労者賞(2018年)
専門は植物保全、資源保全学、植生学、植物生態学、保全生態学、民俗植生学。里山の生物多様性保全と里山の再生に関する研究等。
兵庫県立南但馬自然学校
本校は、小学校5年生が4泊5日で実施する「自然学校」の中核・専用施設として、平成6年に標高756mの朝来山の北斜面に広がる大自然の中に開校しました。施設内には、クラス単位で宿泊できる生活棟、雨の中でも野外活動ができる大屋根広場、友だち同士で楽しく過ごせるフレッシュエアーテントなどがあり、四季折々の豊かな自然体験活動を行うことができます。また、周辺には、雲海に浮かぶように見えることから「天空の城」と呼ばれる竹田城跡、山陰随一の桜の名所で「但馬吉野」と呼ばれる立雲峡、農村の原風景に溶け込む秘湯よふど温泉などもあり、県下屈指の観光スポットとなっています。自然学校以外にも、中・高等学校等の学級づくりの合宿や大学、企業研修等の団体利用も可能です。

ー台風一過、事務所にされておられる川西池田駅近郊の静かなマンションの一室にお伺いしました。

ーそもそもですが、「里山」とは一体何なんでしょうか?
分かりやすくはっきり言いますと薪と炭の林「薪炭林」簡単に言うと

「里山」=「燃料林」

です。燃料を取るために作った山です。日本には石炭も石油も産出されずでしたので、日常生活に必要な燃料は全て近接する山から取ってきていました。元々は里山とは呼ばず、単に「山」でしたが、40年くらい前に、燃料を取る山を里に近いから里山と呼び出した名付けたと言うのが経緯です。しかしこれも関西中心の呼称で、関東は「雑木林」と言います、里山とはあまり呼んでいません。
薪とか柴と炭とか里山で取れていたものは、人が生きる上で非常に大切なものだったんです。今思われている文化的なものというよりもあくまでも生活と経済を支える大きな柱でした。桜だけは、栗だけは伐らずに置いておこうというような自然に対する思いはありましたが、あくまでも主は燃料を生み出す場所でしたから、その所有を巡って頻繁に争いが起こっていたくらいです。里山を失うことは燃料を失い、すぐさま生活が困窮するくらい重要な場所でした。生活者の近くには里山しか存在し得なかった。人の入っていけない山「奥山」と、「山」=「里山」の二つの山しかなかったんですね。
江戸時代に発展した手工業を支えたのが炭です。薪や柴ではなく、炭が大きな価値を生み出していきます。その手工業を支える炭として一庫炭・池田炭が非常に優れていました。

ーよく私たちが言う都市部の近くで自然を満喫しようと言う意味の近隣の山は「里山」は自然ではない?
里山は自然ではありません。人の手が入って加工されているものが里山です。この意味で言う自然の山は、先ほど話した「奥山」になります。
人と自然の関係の中で共生している、人為的な都市でもないし、完全な自然でもない、まさに「共生圏」として存在しているのが里山です。
人と自然の共生相互利用のモデルとして里山は今後も注目されると思います。

ー川西市の北部に位置する黒川地区は「日本一の里山」と言われていますが、その根拠は?
一つは歴史的な古さです。平安時代に遡る古文書に炭焼きの記録があります。江戸時代に今で言う旅行ガイドのようなものにも一庫炭は他の炭を圧倒する数の記述があります。豊臣秀吉や千利休が使ったとかの伝承も豊富で、江戸城にも毎年100俵の炭が送られ、特別の茶会で使われていたようです。そのような歴史・伝統を背景に木炭の生産が絶えずに今も続いていることが日本一の証です。
もう一つは、日本唯一の現存する里山景観が残っていることです。国内で木炭を生産している所は北海道、和歌山県など、まだありますが、弥生時代以来続いた里山景観を維持しながら木炭生産が続けられている所は他にはありません。2000年間燃料を供給してきたシステムとしての里山が黒川に生き残っていることに日本一の意義があると考えています。里山景観とは、毎年一定量の木炭・薪生産を行うために、山を10から20に区分けし、毎年一区画ずつ伐採した結果成立した山地の景観のことです。伐採直後の切株だけの林分から伐採直前の大きく成長した樹林までの0から10(20)までの林齢の林分が混在する景観であり、それをパッチワーク景観とよんでいます。

台場クヌギは北摂から山梨県まで点々と残存していますが、分布の中心は黒川です。台場クヌギの由来はよくわかっていませんが、炭として現在も利用しているのは北摂だけであり、黒川がその中心となっています。台場クヌギの形成には近接する銀山の存在、その精錬に炭が大きく関わっていたのではないかと考えています。そのために黒川一帯は天領でした。なぜここに台場クヌギ林が分布していて、良質の炭が作られたのか、それがなぜ現在まで続けられているのかを学ぶことは、ふるさと教育としても重要だと思います。

ー都市部の人たちが生活スタイルの変化を求めて近隣する山に住む自然に住むことは、燃料林ではない新しい共生の形ではないでしょうか?

今更、里山放置林を里山として再生することは無理でしょう。燃料林としての役割を終え、利活用されなくなった里山、いわゆる「里山放置林」を本来森林が持つ多面的機能、生物多様性、二酸化炭素の吸収、水源涵養の環境機能、表土保全、侵食防止の減災機能、地域景観の素晴らしさ、環境学習、環境教育、レクレーションを含む文化機能を充実させる生かすことで新しい里山を作り出していくこと、そしてその魅力を知る人たちが定住し、新しい里山を作り出していくことが今目指すべき共生圏、里山の再生、未来だと思います。
さらに黒川地域は、里山の生産機能が持続しているので、より里山の多面性を強化付与することが可能で、他の地域に比べ、共生を生み出すのに適しているエリアであると思います。
この台場クヌギを中心とした里山の希少性・文化性・歴史性の高さを核に北摂里山地域の魅力を発信することで、経済性を生み出し地域全体の定住性を高めることができるのではないかと考えます。

ーそもそもですが、里山の良さに気付いた注目したきっかけは?
小学生の時に

昆虫が大好きで、昆虫採集ばかりしていました。

その頃住んでいた伊丹には昆虫採集にいいところがなく、中学校の頃からずーと川西北部まで昆虫採集に来ていました。昆虫大好きで、大学の専攻も昆虫です。学生紛争ではなく、学生闘争の時代で、卒論のテーマをくださいとも教授に言えず、昆虫採集で得たテーマで勝手に卒論を書こうと思い立ったわけです。
ーなるほどー
花にどんな昆虫が来るかを観察研究しました。結果的に近縁種は開花時期を変えることで交雑を防いでいるということを検証した画期的な論文でした(笑)。交雑を防ぐのに訪花する昆虫をコントロール出来ないので、花側の対応として、近縁種はヤブデマリ、コバノガマズミ、ミヤマガマズミ、ガマズミといったように開花時期を少しずらしていることがわかりました。昆虫が専攻でしたが、植物も知らないといけないので、植物の勉強もしました。昆虫で大学を出て、その後民間企業に就職しました。そこで、

万博記念公園の森を設計しました。

あの森は私達が設計しました。その後紆余曲折の末大学院で植物生態学を勉強して、県に就職し、今から30年くらい前に「里山をこれからどうしたらいいか」の相談を受けました。昆虫採集や卒論でもお世話になった北摂の里山が気になりました。北摂の里山の持つ稀有な素晴らしさを見つけ出し、これは日本一だと直感しました。その後日本の代表的な国内の里山を調査しましたが、科学的に見てもやはり日本一と確信しました。

ーこれから黒川の台場クヌギ林をどう残すのか、保全していく手立ては?
台場クヌギの育成地を保存すべくNPO北摂里山文化保存会が、ナショナルトラスト(自然環境や歴史環境を保護するために,住民がその土地を買い取ることにより保存していく制度)の形態を取って同地を購入し、保全に努めています。しかし、当地域の里山林の重要性はきわめて高く、川西市が多額の費用を投入して保全を進めている文化財の加茂遺跡に劣るものではありません。国内に唯一しかない黒川の里山林を個人レベル、NPOレベルで保全・活用すべきものではなく、川西市が中心となって保全・活用を考えてゆくべきものです。黒川の里山は一部が天然記念物に指定されているように、文化財としての価値が非常に高いものです。天然記念物は文化財の一つであることが川西市では忘れられていますが、「ふるさと川西」の重要な資産として、川西市が黒川の里山保全・活用に積極的に対応するよう、お願いしたいと思います。私達にできることとしては、炭の生産者を和歌山県のように無形民俗文化財指定して、大切さを市民の方々に訴えたいと思います。茶道だけではなく、炭の使い道を広げることも重要です。そのためには地域のバックアップが重要です。能勢電鉄では、妙見の森バーベキューテラスで一庫炭を使っています。茶道で使っている良質の炭なので煙が出ないんです。一庫炭で新しいマーケット開拓はなかなか難しいのが実態だと思います。

ー先生の「里山を学ぶ」を拝見すると、このままだと里山放置林は、照葉二次林になってしまいます。目指すべき夏緑高木林へ移行させることが目標となりますが、その過程での除・間伐材の切り出しと利用がネックではないでしょうか。バイオマス燃料材に転換するサイクルが生まれるといいと思いますが
除伐を進めることは重要で、森林の多面的機能を生かすには、除伐して少なくとも夏緑高木林へ移行させる必要があります。体験教育するにしても暗い森では入れませんしね。
他所でもバイオマス燃料の活用に取り組んでいるところがありますが、なかなかコスト面で実現していないところが多いです。
資金的には、森林環境贈与税の活用も一つだと思っています。利用面でも、兵庫県で過去に薪ストーブを多数設置しましたが、面倒で使われていないのが実情です。

しかし、人的な面から見ると大きな可能性を感じます。市内および黒川にはボランティア団体が旺盛に活躍していますので、協力することで、コストに見合う燃料源になり得るかもしれません。ボランティア団体がパン屋さんやピザ屋さんに薪を売っている例もあります。里山保全団体が多く、優秀な方々がそろっているのがこの地の強みです。
初心者の方には、わかりやすく常緑樹だけを切りましょうと言っています。冬に除伐すれば、素人でも伐る木がわかりやすいし、暑くない。太い木はプロに任せるのがいいと思います。しかし、除伐材は利用先がないので放置するしか方策がない。ご指摘のように、バイオマス燃料材に変換することが出来ればいいですね。
夏緑高木林になると、今度は間伐が必要です(除伐は不要な樹木を伐ること、間伐は必要な樹木であるが、密度調整のために必要な樹木の一部を伐ること)。永続的で計画的な間伐が必要ですが、自治体でも照葉二次林でいいじゃないかの風潮があります。ここが難しいところです。しかし、兵庫県下では素人が一から勉強して植生の調査を行い、計画的に間伐を自分たちの手で行なっているボランティア団体があります。やはり人材ありきだと思います。

最終的には夏緑高木林に変換すべきと考えますが、森林管理も時代と場所にフィットした多様性が出てきたんじゃないかなと思います。都市部では意欲旺盛な都市住民の参加でその場所に特化した「まち山」的管理が進んでいます。夏緑高木林ではなく夏緑低木林に整備するなど、地域にも訴えかけやすいと思います。

しかし多様性の中でいろんな考えの人が出てきます、最初の合意が大切ですね。実体として個人持ちの山が多いので、協力体制というか継続が難しい。共有地も難しい、意思統一が出来にくい。個人所有は代替わりで状況が変わりますし。
成功例として、水明台の例があります。元々はニュータウンの端の地にエドヒガンがあり、市の土地でしたが、住民が立ち上がって管理し始めました。エドヒガンを守ろうで合意して管理を進めていますので、美しいエドヒガンの森が出来ています。知事が二度も訪問した成功例です。
優秀な住民が多く、管理運営する人材が豊富なのが「まち山」の特徴です。大和団地にも大和フォレストの森がありますね。ここは造成地なので、ススキ草原も作っています。清和台ではシロバナウンゼンツツジという真っ白なツツジの群生する「まち山」づくりが行われています。オリジナリティーが生かされた管理が続々「まち山」に生まれています。

北摂の面白いところは、「奥山」である妙見山にブナ林が残っているし、日本一の里山があり、神社の森があり、「まち山」が旺盛に生み出されているところです。多様で多面的な森林の形があり、そこにつながる多様な共生の形がここ北摂にあることだと思います。

ー最後に一言、一番お好きな昆虫は?

オオクワガタです!

ーありがとうございました!

たまたまお伺いした日が、日本対スコットランドのワールドカップラグビーの日だったんですが、
先生とお話ししていて、一つのボールを遮二無二運ぶラガーマンのパッションを感じました。
僕も負けずに頑張らねば!
(T.Mi)

 

 

コラッジョ川西 代表 栂尾大知氏

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