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インタビューず

曹洞宗 福壽山 徳林寺 越智 普門 氏

越智 普門 氏
曹洞宗 福壽山 徳林寺 院代
1976年 広島市 生まれ

「日本一の里山」黒川地区の中心に位置する徳林寺は、地域の8割以上の住民が檀家である曹洞宗の名刹です。
およそ450年前に梅菴榮春大和尚によって兵庫県川西市の黒川村に真言宗の寺院として開山されました。
その後、文化13年(1806年)に曹洞宗の寺院となり現在に至ります。

地域活動の中心、地域住民の生活の基盤を支えるこの名刹の院代 越智 普門氏に黒川地域の今と未来をお聞きしました。

ーお忙しい中よろしくお願いします。先ずはで恐縮ですが、曹洞宗の和尚になろうと思われたところから是非お聞かせください。
よろしくお願いします。そこからですね(笑)。
もともと僧侶じゃなくて、大阪で建設設計を勉強し、豊中で建設と不動産の会社に勤めるサラリーマンでした。
設計施工やデザイン、小規模の販売、ビル管理などを手広く手がける会社で、私は結構自由に働かせていただきました。新卒から15年ほどその会社に勤めていましたが、30代の半ばにかかり、出家しようと決心しました。
もともと家族も信心深く、私の名前もお寺さんにつけていただいたりして、私自身宗教には関心がありました。なんとなく自分で勉強していましたが、どちらかというと信仰というよりも宗教のシステムに興味がありました。

ーなるほど
拝んでどうとかではなく、理論として興味があって、ここまで突き詰めるんだなーと。
仕事の合間に仏教だけではなくキリスト教やイスラム教なども勉強を続けていましたが、やはり仏教が面白いなと感じていました。
そうして36歳くらいに、独立しないかというお話やうちの会社に来ないかのようなお話をいただき、ちょうど仕事も面白い頃だったんですが、こればかりやって行くのもなあと、仕事は楽しかったんですが、ちょっと考えましたね。

ーいやー全く一緒ですね(笑)。僕もその頃悩んでまして、永平寺に座禅体験に行きました。
ちょうどその頃出会った本が、ネルケ無方老師の著書でした。
仏教の本も色々読んで勉強していたんですが、論理的に突き詰めると曹洞宗だなと自分では決めていました。私の先祖も曹洞宗と関係があり、縁も感じて曹洞宗に入りました。
しかし、普通の僧堂に入って職業坊主になるのも面白くないなと思い、どうせなら自分とかけ離れたところに行こう、将来性を考えても一番厳しいお寺に行こうと考えて、兵庫県にあります当時ネルケ無方老師が住職を務めていた安泰寺に入りました。厳しいと言いますか、座禅の時間で見ると世界一厳しい僧堂です。37歳の10月末でした。そこで初めて座禅をしました。

ーえっ初めてですか?
はい、開始5分で来るんじゃなかったと後悔しました(笑)。
ネルケ無方老師の著書にも書かれてますが、私が安泰寺に入る時に本堂前にタクシーで乗りつけて修行を舐めてるのか!と怒られましたね(笑)。
また、同室がロシア人で話も通じず、生活は完全な自給自足で、土に触ったこともなかったですし、毎日大変でした。
そして11月になり、いきなり5日間午前4時から午後9時まで座禅です。これはなんとか耐えました。
それからひと月、12月に8日間座禅を続ける大接心が始まりました。それまでにも結構周りでお寺から逃げる人がいましたので、これはもう正直逃げようかと思いました。

ーなかなか過酷ですよね、続きが気になります
そうすると雪がそれも大雪が降り出し、1.5メートルすぐに積もりました。
これは逃げられない、、、出たら死んでしまう、外で死ぬか、ここで死ぬか、、まで思い詰めた時にネルケ無法老師に「心配しなくても座禅では死なない、脚が痛いのも馴れるから」と諭され、ただただ座り耐えました。何の意味があるのかばかり考えていましたね。
なんとか乗り越えて、それから托鉢とかにも行き始めました。梅田で托鉢していましたが、恥ずかしくて仕方がなかったです。しかし托鉢が唯一の収入源ですので、そうとも言ってられず、12月のクリスマスからお正月まで山を降りられる唯一の期間に、托鉢をしていました。息抜きもありましたが(笑)。当時は西成の1,000円くらいの部屋に泊まり、初めはえーーと思っていましたが、テレビもあるし足も伸ばして眠れるので天国でした。
自給自足ですから、毎日猟師さんと一緒に鹿や猪を獲って捌いていました。今でもうまく捌けます。

そうして3年が過ぎた頃に、ネルケ無方老師から住職にならないかと声がかかりました。
そのためには専門僧堂に一から入らないといけません。約3年弱、立ち居振る舞いお茶の入れ方から、20歳くらいの僧からすごく怒られながら勉強しました。在家から僧になるには最低2年そこで勉強することになります、私の安泰寺の修行期間はカウントされません。駒大出ると半年ですが。
しかし安泰寺で修行していましたので、楽と言えば楽でした、安泰寺から逃げてきた人にも出会いましたし(笑)。

この専門僧堂では、人間関係を勉強出来たのが大きかったですね。
お寺の後継の若い人たちの考え方にも触れましたし、僧堂に来る在家の人たちも色々人生を背負って来られてましたしので、勉強になりました。
もし人生が戻せるならまた安泰寺に入りたいなと思います。

専門僧堂での勉強が終わりに近づいた頃、その僧堂に来られていた先生から、ここに入ったらどうかと誘われたのが、今の徳林寺です。

ー今思い返してみて、安泰寺に入って、専門僧堂を出るまでの6年間の修行を通じて、一番自分が変わったことは何ですか
あまり深く考えなくなりました。
少し馬鹿になったと言いますか、あれがこうでこうなるからこうなる的な論理的に考えるというよりも、感覚的になった気がします。字を書くにしても、以前はきちっとハネまで気にして何度も書き直したりしていましたが、今はシュッと書く感じです。

ー徳林寺に来られた当初の状況はいかがでしたか
実は初めにお話をいただいた時に、ここだと思いました。
仕事でよく能勢宿野に来ていましたし、当時から北摂の空気が好きで意図的にこの地域で仕事をしていましたので、土地勘がありましたし、好きな地域だったんです。他の候補のお寺もいただいていたんですが、徳林寺に決めました。

そうして徳林寺に来ましたが、まだ前の住職ご夫婦がおられましたので、引き継ぎまでの2年間お寺の掃除をしていました。
掃除していた時期に、お墓のお名前を1つ1つ読みながら、自分がどんな僧になるのかなりたいのか、どんなお寺にするのかしたいのかを考えていました。そうこうしていると近所の方と話をし始めて、あらためてこのお寺がいいと確信を深めていきました。

今は院代ですが、手続きを経て12月1日に正式に住職になります。
生活は曹洞宗僧侶として矜持を持って過ごしたいと思っていますが、お寺自体は皆様が来やすいアットホームな雰囲気のお寺にしたいなと思っています。

ー地域の中心として徳林寺と地域との関わり方についてはどのようにお考えですか
黒川地域のハブに徹したいなと思っています。
住民の皆様から黒川を活性化してほしいとの思いをいただいています。
世帯数も35世帯を切り、人口も100人を下回っていて、70歳以上が9割、若い人と言って40歳代が数人、このままでは黒川が終わってしまうという切実な思いをお持ちです。もちろん全員ではありませんが、もともとはお寺を中心に地域が活気ついていた時期もあり、あの頃はというお話をよくお聞きします。
色々活性化の取り組みを試しています。
今年は花祭りを実施しましたが、地域の皆様が赤飯やケーキを作って完売するほどの人が来られました。

黒川には大根集めの行事があったんですが、今は廃れてしまっています。今年は皆さまに大根を集めていただいて、12月11日日曜日に大根祭りを開催し、小さいですが賑わいを作りたいと思っています。
そのような私なりのやり方で地域の方と一緒に、もう一度地域の中心になって活性化を推進したいと考えています。

問題と言いますか課題はやはり人材です。地域を愛し実際に動く人材が不足しています。そこを改善しないと難しいですね。
しかし、一方で今若い人たちが、黒川で農業がしたい生活したいと集まってきています。その人たちの活躍の場も作っていきたいと思います。

ー活性化を進めるには人材以外には何がネックになるんでしょうか
何かボンボン建ててというのではなく、今あるもの今あるところで楽しく一緒に生きることが活性化じゃないかなと思っています。
お寺を使って村の人がどう楽しめるかいつも考えています。
地域には茶人も多くおられますので、その人たちが活きるイベントとかも面白いなと思っています。
しかし、色々な檀家さん住民の方がおられますので、一気に爆発的にとは行きません。緩やかな変化というものも考えたいと思います。住民の皆様に密着しているお寺でないと出来ない活性化を実現したいですね。

若い人のお話になると定住化の促進というどこの田舎でも持っている課題がありますが、ここ黒川は景観区域になりますので、新しい家が建てられません。また自分の家は守りたいという気持ちが強いですので、なかなか空き家が出るという状況でもありません。草刈り1つを見ても、若い人が来ないと地域は持ちこたえられないことは、皆様重々ご存知ですので特には私からお話ししていません。空きそうだ空いたよの時にお相談に乗っていきたい、まずは私がそのハブになる事かなと思っています。

今の段階では、若い人たちが地域の手助けをしてくれる環境を作る事が最適だと考えています。その意味では、黒川単体ではなく広く交流し連携していく必要があります。
人を惹きつけ定住にもつなぐ地域のお宝はいっぱいあります。まだ大きくは育っていませんが、これから磨こうと思います。しかし、人の流れを生み出すためには、やはり黒川単体では難しいです。

ー繋がってきましたね、北摂里山地域循環共生圏がまさに目指している連携ですね。
お話をお聞きして東谷中谷西谷を連携していくのはいいお話だと思います。
地域地域の強み弱みを補完し合うのは魅力的ですね。やはり色々なアイデアと人をつないで大きくしていかないと地域は活きてきませんし、生き残れません。
そのためにも黒川の魅力を顕在化し、地域の繋がりを深めていきたいです。来年は久しく途絶えていた盆踊りや、北摂里山文化保存会のピザ窯も使っての地域の祭りを行いたいなと思っています。

先ずは祭りを通じて北摂里山地域の皆様との連携も深めていきたいですね。楽しみです。

ーありがとうございました。

 

ー私ごとですが、禅宗に一時ハマって鈴木大拙など読み耽っていた頃を思い出しました。
違いはブレイクスルーする行動力と踏ん切る踏ん切り力だなあと、反省しきりなインタビューでした。
今後ともよろしくお願いします。(Ti)

 

公益財団法人 地球環境戦略研究機関 田中 勇伍 氏

多田グリーンハイツ自治会「お出かけ支援」 難波 康晃 氏

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