植田 観肇 (うえだ かんじょう)氏
能勢妙見山ブナ守の会 事務局長
日蓮宗霊場 能勢妙見山 真如寺 副住職
京都嵐山妙林寺 住職
兵庫県と大阪府の県境に位置する日蓮宗霊場能勢妙見山。個人的には毎週歩いて登っているお山です。
この霊山に群生するブナ林(通称 北極星の森)を次世代に残したいと活動を続ける「能勢妙見山ブナ守の会」の植田観肇事務局長にお話をお聞きしました。
午前中は会の活動がありますからご一緒に、とのお誘いでしたので、参加しました。
倒木で折れた鹿柵の補修作業でしたが、急斜面で足元も悪く、折れた木も太い物でしたので、日頃の皆様の作業の大変さが身に染む汗だくの2時間でした。
ーよろしくお願い申し上げます。先ずは会の発足について教えてください。
よろしくお願いします。
そもそもは、服部先生(北摂里山大学学長)が足繁くブナ林に通って来られたのが発端です。
当時、私は全く森を守るとかの認識はなく、どの木がブナなのかも知りませんでした。
服部先生から、「お寺で守ってくれないか」とお話をいただいていました。
ブナ林自体は大阪府の天然記念物で、素人が入るな手を出すなの指導をいただいていましたから、地権者として妙見山は、立ち入り禁止にすることが保護であるという認識でした。
しかし、服部先生は「一緒に守りましょう」と何度もお声かけをいただいていまして、どうしたものかと逡巡していましたが、服部先生ついに業をにやしたのか「一回でいいから森に入ろう」と私たちの背中を押していただきました。
「ちらっとだけ」の思いでしたが、山頂近くのブナ林に入りました。
日頃から掃除をしているところですが、ふと見ると雑草が茂っていたんですね、それを抜こうとすると、「抜いてはだめ!それはブナです!!」と制止されました。今ではとても抜いたりできませんが(笑)。
山頂にブナの苗がいっぱいに生えていたんですね。
不思議なんですが、その時以来あんなにブナの苗が生い茂ったことはありません。
先生が汚れることも気にせず、スーツのまま膝をついて苗を一生懸命見つめる姿を今も忘れることは出来ません。
その姿を拝見して、これは守るべき価値あるものだという思いを持ちました。
「この苗を適地に植え替えることで保護ができる」と教えていただき、それなら私たちでもできるかもしれないと思ったのが会の始まりだったと思います。
(能勢妙見山ブナ守の会ホームページより)
ー感動的ですね。具体的にはどうのように活動されたんですか?
NPO法人森林再生支援センターの高田研一先生のお力をお借りしました。
出入りの植木屋さんにすごい先生がいるよと教えていただいて。何も紹介なくいきなり電話したんですが、妙見山にはよく昆虫採集で登っておられたようでご縁を感じていただき、また私がまだ30代でしたので、可能性を感じていただいたのだと思います。
先生と一緒に山の中を歩き回り、土壌や植生や手法など具体的なことを徹底的に教えていただきました。
しかし、お金がなかったんですね。
どうしたものかと先生にご相談すると、関西テレビのCSRのご担当者にご紹介いただき助成いただいて、やっと鹿柵作りに着手出来たのが保護活動の最初です。
長年立入禁止にしていた森に手を入れると言うことで大阪府からは当然ながら反対の声が上がりました。しかし、服部先生にあいだに入っていただきなんとか大阪府にも理解していただきました。
ー次は維持管理に人手が必要ですよね。どうされたんですか?
一人ではどうにもなりませんから(笑)。
立ち上げで困っていた時に服部先生がお連れいただいたのが、黒川で知らない人はいない信田さんです。
ー私もよく知っています。
とはいえ信田さんからは、力は貸すけど会長は無理ですよと言われ、地域の力をもっと結集したいと能勢妙見山の総代さん達に相談したところ、じゃあ私がということで、現会長まで3代の会長は総代さんにお勤めいただいています。
地元に対しても顔が広いので、色々な人にお声かけいただいて、立入禁止されていたブナ林に入れるんだみたいなお声をいただいて、興味を持っていた人たちがなんと80人くらい集まりました。
こうして2014年7月に会が発足しました。
能勢電鉄さんが当初会員でしたので、広報では助けていただき本当に助かりました。ちょうど10年になります。
ボランティアの皆様も、当時は第二の人生は地元でという方が多かったんですが、働き方も変わって生涯現役な現代ですから、高齢化は避けられません。コロナを超えて人数は減りましたがそれでも今も約60名の会員の方がおられます。月一回の活動には10名程度の方が来られています。
ーお寺とブナ林との関係はどのように捉えていますか?
これは服部先生の仮説ですが、お寺の「鎮守の森」としてブナ林があったというお話に感銘を受けています。
奈良時代から続いているお寺ですが、実際には室町から戦国時代にかけて戦場となり、お寺を守っておられた領主も一旦この地を離れて、江戸時代に再興しています。
その中でもブナ林は残っていた訳です。
戦火で燃えたり、燃料にしたり、資材に困って木を切ってもおかしくないのに、自然林がそのまま残っていた歴史的な継続性が、お寺の存在に大きな意味を持つと思います。
この継続性を未来に継承することが会の大きな目的の一つです。
ーお寺があってブナ林がある、交わるというよりは並走しているイメージですね。すごく面白いです。
ブナの漢字は、木でないと書いて「橅」。
役に立たない木が、植え替えられずに存在し続けたことに意味があると思います。
それが文化ではないでしょうか。
ブナは残ることでしか存在出来ないというレトリックに文化を感じます。
近くに同じくらいの標高の山はいっぱいありますが、妙見山の境内地にあるこの5ヘクタールにしか残っていないんですよ。
昔の人はひょっとしてこの森に私たちの知らない価値を見出していたのかもしれません。
100年後200年後に誰かがその価値に気づいてくれると面白いですね。
ーその継続する自然に手を入れて変化させることについては、どのようにお考えですか?
高田先生のお話なんですが
「いまブナが衰退していっているのは人間のせいだ。地球温暖化だったり鹿が急激に増えたり、またその獣害対策の遅れなど人為的な影響でブナが消えている。人間がしてきたその影響に対して人間が少しでも元の状態に向けて押し返すこと、それが手を入れるということだ。」と教えていただきました。
自然と人間が均衡に戻るまでは行きませんが、共存するためには限定的なパッチディフェンスが最善手だと考えています。ゾーンディフェンスは金銭的にも維持管理の点でも今の体制では難しいですね。
そして、少しでも手入れすること綺麗にすることで、訪れた人々に自然を守ろうという気持ちが発心するんじゃないかと思っています。
自然と言っても、やはり人が存在している以上、人が変わらないと自然も変わりません。
この活動の主人公は「人」ですので、人の視点で考えていくことが必要です。
(能勢妙見山ブナ守の会ホームページより)
ーこれからの会の方向性、将来像という点ではどのような策をお考えでしょうか
NPOなど組織化して職員を持たないと将来はないと、高田先生にはいつも言われています。
でも残念ながら余力がないのが現状です。
しかし何らかの事業化を取り込んでいくことは、存続には不可欠だと思っています。
そのためにも、先ずは妙見山のブナと会のことを広く知ってもらうことが、1番大事だと考えています。
SNS含めシンポジュームやセミナーなどで、会員一丸となって発信に努めています。
4月に日本一の里山・北摂里山フィールドパビリオンで発信していただきありがとうございました。
これからも是非地域の皆様と連携して活動して行きたいと考えていますので、よろしくお願いします。
ーありがとうございました!
ー宗教論や自然観など、寄り道が長く深い楽しいインタビューでした。
次世代に伝えていく残していくためには、次世代をどう取り込むかが最大のポイントであり最大のネックです。
植田事務局長の若い力に、期待感しか浮かびませんでした。長時間ありがとうございました。
(帰りに秘湯山空海温泉で一息ついた)T.Mi